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安倍晴明神社
安倍晴明神社は、近年ブームの陰陽師・安倍晴明を祀る晴明生誕の伝承地です。安倍晴明は阿倍野の豪族だった父・安倍保名と葛の葉と名乗る白狐の間に生まれた伝説があります。葛の葉の正体が白狐であることが発覚した時に、障子に葛の葉が書き残した歌「恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」は、あまりにも有名です。社伝によると、安倍晴明神社は、晴明没後2年の寛弘4年(1007年)の創設とされています。境内には、江戸の文政年間に建設された晴明誕生の地を示す碑や、産湯の跡などがあり隆盛を極めましたが、幕末に衰退へ。大正10年(1921)、50m南にある阿倍王子神社の末社として復興、大正14年(1925)には現在の社殿が建てられたといわれています。境内で実施されている日替わりの占いコーナーも大人気です。
住所:大阪市阿倍野区阿部野元町5-16
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行基の墓
公園南矢田3の二ケ所の共同墓地内にそれぞれ行基菩薩の墓があります。立派な墓ですが、有名な生駒竹林寺墓所や往生院火葬場跡は歴史学的に確認できますので、この墓は単なる「供養墓」だと考えられています。また、大和川に掛かっている府道26号線の大橋の名前が行基橋となっていますが、この橋に行基が関われる筈がないので、この地域での行基伝承には疑問が残るものの、行基の師・道昭が活躍した証拠(舟戸録)が瓜破にあるので、行基もこの地域に関わっていたことは否定できません。従って、「行基や道昭や、その弟子達の指導を受けて開発された土地柄である」とも考えられます。
住所:大阪市東住吉区公園南矢田3丁目14
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住吉公園
明治6年(1873)に開設された大阪でもっとも古い公園。春は満開の桜のもとで行われる桜祭、夏は隣接する住吉大社の住吉祭(夏越大祓神事)、そしてお正月には初詣と、一年中賑わいをみせています。もともとは住吉大社の境内で、大社の馬場があり、公園の中央を東西に走る現在の「潮掛け道」も住吉大社の表参道でした。国道26号線に面したところに立つ「高灯篭」は、鎌倉時代末期に住吉大社への献灯として建てられた日本最古の灯台とされます(現在の灯台は昭和49年(1974年)に復元)。かつては公園の西側あたりまで海が迫り、この海に面した住吉大社の社前の風景が、日本の美しい風景の典型とされる白砂青松の原景である「住吉模様」と呼ばれ、景勝地として多くの和歌などに詠われました。公園の東入り口には、元禄7年(1694)9月13日、芭蕉が住吉大社の宝の市神事へ参拝した時に詠んだ句の碑があります。
住所:大阪府大阪市住之江区浜口東1丁目1−13
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堺市茶室
大仙公園内の堺市博物館横に、国の登録有形文化財である堺市茶室「伸庵」と「黄梅庵」の二つ茶室があり、それらをつなぐように茶庭が整備されています。庭園の見学は無料で、庭園には国指定重要文化財の旧浄土寺九重塔があります。伸庵は数奇屋普請の名匠といわれた仰木魯堂が、粋をこらして昭和4年(1929年)に建てた茶室で、もと東京芝公園にあったものを、昭和55年(1980年)に福助株式会社から寄贈され移築したものです。一部2階建の桟瓦葺の建物で、中庭を囲み玄関・広間・茶室・座敷等が配置され、江戸間、京間、中京間を組み合わせた特色ある間取りや、面皮材や丸太材、角材の柱材も適所に用いる工夫が見られます。茶室は伝統的な平三畳台目の形式を踏襲しながらも、貴人口を併用することで客座の開放感など近代らしい空間が作られています。茶室を含めて10室の和室があり、多人数の茶事を催すことができます。また、立礼席/椅子席も設けて気軽に抹茶を楽しんでいただけます。
営業時間:9:30~16:30(ただし立礼席/椅子席のご利用は10:00~16:00)、定休日:月曜日(祝日の場合は開館)、年末年始、堺市博物館の休館日
住所:大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁
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堺市博物館
堺市の歴史・美術・考古・民俗に関する資料を収集・保存・展示する博物館。昭和55年(1980年)の市制90周年記念事業として、大仙公園内の一角に建てられました。仁徳天皇陵古墳に代表される巨大古墳が数多くある堺市は、中世においても「会合衆」と呼ばれた有力商人たちによって運営される自治都市・貿易都市として繁栄しました。文化の面でも千利休が茶の湯を大成させたところとして知られています。江戸時代には古来の伝統で培わされた技術を駆使し刃物の製造が始まり、現在もそうした製造技術が自転車製造などに引き継がれています。常設展のほか、無料の古墳シアターもあります。特別や企画展なども実施。また、数多くある美術品のなかには、観音菩薩立像や漆塗太鼓形酒筒など、国の重要文化財に指定されている3点も含まれています。VR映像体験「仁徳天皇陵古墳VRツアー」(有料)では百舌鳥・古市古墳群を上空からの様子を体験できます。
開館時間:9:30~17:15(入館は16:30まで)
休館日:月曜日(祝・休日の場合は開館)、年末年始
住所:大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁大仙公園内
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堺刃物ミュージアム
展示や映像で、堺刃物の魅力を紹介している施設です。包丁をはじめ、鉄・工具などさまざまな分野で使われている堺刃物の製造工程や種類が分かる常設展示のほか、業務用から家庭洋間で多種多様な刃物の販売コーナーもあります。週末には、1階実演コーナーにて、刃物づくりの最後の仕上げとなる「刃付け(研ぎ)」の工程を、熟練の職人が実演します(要問い合わせ)。また、包丁、ハサミのお手入れ方法など、刃物に関する相談窓口「刃物クリニック」も設置。刃物修理も受け付けています。
開館時間:10:00~17:00
休館日:第3火曜日(祝日の場合は翌日)
年末年始(12月29日~1月3日)※その他臨時休業あり
住所:大阪府堺市堺区材木町西1丁1-30堺伝統産業会館
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大黒寺
665年、役の行者(修験道の祖)によって創建された古寺です。本尊は役の行者が大黒天より御告げを受けて自ら彫刻したと伝えられる大黒天です。日本最初の大黒天出現霊場・御祈祷の霊場として信仰を集め、室町時代には河内守護職畠山氏等の帰依を受け隆盛するも、天正年間織田信長の大坂攻めの際、信長陣となり戦火にかかり荒廃します。その後、江戸時代に禅宗(曹洞宗)の寺院として復興し現在に至ります。境内の大梵鐘は400年前の清鐘で、古律黄鐘調(祇園精舎の鐘と同じで衆生済度の力があると信じられた音)です。また畠山基国公が奉納したと伝えられる観音様を祀り、観音霊場(河内西国第8番)でもあります。
住所:大阪府羽曳野市大黒499
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久宝寺緑地
服部・鶴見・大泉と並ぶ大阪4大緑地のひとつ。市街地での貴重なみどりと広大な空間を誇るこの公園は、自然やスポーツを楽しむことができる施設が揃っています。毎年5月には熊本県肥後地方で品種改良された肥後シャクヤクなど多種多様な花々を見ることができる「シャクヤク園」のほか、「花の広場」「ファミリー広場」など、子どもも大人も楽しめる憩いのスペースや、センター120m/両翼91.4mで甲子園と同じ黒土を採用した本格的な野球場、レジャープールなど、スポーツ施設も本格的。マルシェやライトアップイベントなども開催され、様々な楽しみ方ができる公園です。
※営業時間・休演日は各施設により異なります。詳しくは公式サイトをご確認ください。
※シャクヤク園の開園は4月下旬~5月下旬の間1か月程度です。
住所:大阪市東住吉区公園南矢田3丁目14
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大和川治水記念公園
柏原市内にある大和川付け替え地点(上市2丁目、柏原市役所の北西、安堂交差点の北)は堤を築いて大和川の流れを留めたことから「築留」といいます。平成2年(1990年)に治水記念公園として整備され、中甚兵衛の銅像が立っています。この銅像は甚兵衛着用と伝えられる陣羽織を着て、左手に丸めた書類を持ち、右手は遠くを指差しています。彫刻家高橋宏至氏の作で、柏原ライオンズクラブから平成元年(1989年)に寄贈されたものです。像以外にも、説明板や付け替え250周年の記念碑などが立っています。近鉄大阪線安堂駅または近鉄道明寺線柏原南口駅から徒歩3分のところです。
住所:大阪府柏原市上市2丁目7番地先
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松岳山古墳
大和川左岸、国分神社の奥に広がる丘陵上にある全長約130mの前方後円墳です。この古墳には、円筒埴輪や巨大な鰭付楕円筒埴輪が立てられていました。後円部墳頂には組合式石棺(6枚の石板を組み合せた棺)が露出しています。石棺を覆う竪穴式石室の原状は不明ですが、周囲に板石が大量に散乱する現状から石室は墳丘上に積石塚のように築かれていたと推定されます。石棺の南北には大板石が立てられています。南の立石は高さ2.3m、幅1.4m、北の立石は高さが1.8m、幅が1.4mで南立石には1箇所、北立石には2箇所の円孔があります。立石の用途や何のための孔なのかは不明(謎)です。古墳からは銅鏡、装飾品、武器、農工具、土器、埴輪など様々な遺物の出土が知られています。周辺丘陵には10基近くの小さな円墳や方墳がありましたが、この松岳山古墳と隣接する茶臼塚古墳以外の古墳は昭和30年前後の宅地造成などにより消滅しました。周辺の古墳や丘陵地からは国宝の「船氏王後墓誌」や重要文化財の三角縁神獣鏡、歯車形碧玉製品、など多くの貴重な資料が出土したと伝えられています。
※松岳山古墳を見学の際には、隣接する国分神社社務所にお声掛ください。
住所:大阪府柏原市国分市場1丁目(国分神社内)
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市立玉手山公園 ふれあいパーク
平成11年(1999年)3月にオープンしました。総面積は、約68,000㎡ (約20,000坪)です。春は梅や桜、初夏は新緑とツツジ、秋には紅葉など、園内には自然がいっぱいです。また、アスレチック風の大型組み合わせ遊具や、ちびっ子ゲレンデも設けられました。子どもから大人まで楽しめる公園に、あなたもぶらりとお出かけください。 開館時間:9:00~17:00、休園日:水曜日(祝日の場合は開園、翌日に休園)、年末年始(12/29~1/3)。梅・桜開花時(2月初旬~4月下旬)は水曜日も開園
開館時間:9:00~17:00
休園日:水曜日(祝日の場合は開園、翌日に休園)年末年始(12/29~1/3)。梅・桜開花時(2月初旬~4月下旬)は水曜日も開園
住所:大阪府柏原市玉手町7-1
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立野城跡(案内)
信貴山城の支城のひとつであった城。発掘調査の後開発され、城跡は墓地・公園となり当時の面影は跡形もありませんが、城山台三丁目バス停近くに案内板があります。
住所:奈良県生駒郡三郷町立野北2丁目1
千体地蔵
仁王門のすぐ近くに並ぶ、鮮やかな前掛けを付けた地蔵が何体も並ぶ場所です。
住所:奈良県生駒郡平群町信貴山2280ー1
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乳かけ地蔵
乳かけ地蔵(ままかけじぞう)は、推古天皇が乳母の乳が少ないことを悲しんで、この地蔵に使いを送って祈願させたところ、乳母の乳がたくさん出るようになったという伝承があり、乳垂地蔵(ままたれじぞう)とも言われます。かつてはそばに柳の木があり、参詣にきた婦人がここに母乳がよく出るようにと乳をかけて祈願していたので、柳は乳で白くなっていたといいます。 文化7年(1810年)「香塔寺略縁起」には、松永久秀が諸所の寺院を破却した際、香塔寺一宇が災厄をまぬがれ、火中にあった乳かけ地蔵もまったく被害にあわなかったと記されています。境内には、天正4年(1576年)と慶長20年(1615年)に建立された六斎念仏講の石碑があります。
住所:奈良県北葛城郡王寺町畠田7丁目2−8
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笠石仏如来像
椿井村の西入口に祀られた線刻の笠石仏。角柱状の石材を壷形に彫り込み、如来立像を線刻し、上部に扁平な自然石を乗せています。高さ94.5cm、幅44cm、彫り込み71×29cm、仏身58.5cm。顔から胸の部分が信者が撫でた手ズレによって摩滅していますが、精緻な線刻で表現され、仏身の周囲、彫り込み内に一五の種子が配されています。本来の像容ははっきりしませんが地元ではミロク(弥勒)と呼んで信仰されています。胸の付近で折れているのは、昔、牛馬をつないでいて引き倒されて折損したからとされています。三郷町総持寺の一針薬師笠石仏や勢野西墓地の線刻阿弥陀石仏等との類似性が指摘されており、鎌倉中期を下らない作と考えられています。上部に自然石を乗せた笠石仏で、町内では鳴川の揺るぎ地蔵石仏(鎌倉末)、櫟原のタケダの石仏[阿弥陀如来](弘治銘:1555~1558)も笠石仏として知られています。
住所:奈良家生駒郡平群町椿井1185
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龍田神社
古代の「竜田道」であり、江戸時代に奈良から大坂へ向かう幹線道路の一つであった「奈良街道」添い龍田の町並みのほぼ中央にあります。祭神は天御柱神・国御柱神で風神です。現在の三郷町にあります「竜田神社(大社)」は、『延喜式』にある「竜田坐天御柱国御柱二座」のことで、この本宮に対して、斑鳩の龍田神社は新宮(新龍田)と呼ばれて、現在も秋の祭礼等にその関係が続いております。しかし神社のはじまりは、神社北方の「御廟山(御坊山)」と呼ばれた丘陵が竜田における神南備であり、御神体として祀られていたのが、その南麓へ移ったものと考える説もあります。
住所:奈良県生駒郡斑鳩町龍田1丁目5-3
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